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お話を聞いていると、今作への宮本さんの関わり度が半端じゃないように感じるのですが・・・。
宮本 今作のクレジットは「プロデューサー兼スーパーバイジングディレクター」ということで、わりとディレクターに近い位置で仕事をしていたんです。
ディレクターという立場はいつ以来ですか?
宮本 1998年に出た『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のときは、ディレクターに近いことをやっていましたけど、クレジットはプロデューサーでしたので、その前の『スーパーマリオ64』以来じゃないかと思います。
ということは20年ぶりのディレクターということなんですね。
宮本 そうなりますかね。
そこまで宮本さんが現場に入り込んだ理由は何だったのですか?
宮本 なんでしょう・・・代わりにやってくれる人がいなかったから?
林 あははは(笑)。
宮本 そこで今回は、3人ディレクターでやることにしたんです。隣にいる林と、共同開発をしてくれたプラチナゲームズの橋本祐介さん(>>0�と僕の3人で。
※ プラチナゲームズの橋本祐介さん=大阪に本社を置くプラチナゲームズ株式会社に所属するゲームデザイナー。Wii U『ベヨネッタ2』ではディレクターを担当。
それこそ20年ぶりにディレクターを務めたというのは、宮本さんにとっては、『スターフォックス』が放っておけないタイトルのひとつだから、なんじゃないでしょうか。
宮本 ああ、そうですね。うまいこと言ってくれますね。
(笑)
宮本 もともと『スターフォックス』をやりたいと言ったのは僕でしたから、それをどうつくるか、ということも僕が決めないといけなかったんです。
でも、楽しんでつくっていた感がすごく伝わってきました。
宮本 ええ、好きでやっていましたからね(笑)。
https://topics.nintendo.co.jp/c/article/da165d1f-0157-11e6-8360-063b7ac45a6d.html
お話を聞いていると、今作への宮本さんの関わり度が半端じゃないように感じるのですが・・・。
宮本 今作のクレジットは「プロデューサー兼スーパーバイジングディレクター」ということで、わりとディレクターに近い位置で仕事をしていたんです。
ディレクターという立場はいつ以来ですか?
宮本 1998年に出た『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のときは、ディレクターに近いことをやっていましたけど、クレジットはプロデューサーでしたので、その前の『スーパーマリオ64』以来じゃないかと思います。
ということは20年ぶりのディレクターということなんですね。
宮本 そうなりますかね。
そこまで宮本さんが現場に入り込んだ理由は何だったのですか?
宮本 なんでしょう・・・代わりにやってくれる人がいなかったから?
林 あははは(笑)。
宮本 そこで今回は、3人ディレクターでやることにしたんです。隣にいる林と、共同開発をしてくれたプラチナゲームズの橋本祐介さん(>>0�と僕の3人で。
※ プラチナゲームズの橋本祐介さん=大阪に本社を置くプラチナゲームズ株式会社に所属するゲームデザイナー。Wii U『ベヨネッタ2』ではディレクターを担当。
それこそ20年ぶりにディレクターを務めたというのは、宮本さんにとっては、『スターフォックス』が放っておけないタイトルのひとつだから、なんじゃないでしょうか。
宮本 ああ、そうですね。うまいこと言ってくれますね。
(笑)
宮本 もともと『スターフォックス』をやりたいと言ったのは僕でしたから、それをどうつくるか、ということも僕が決めないといけなかったんです。
でも、楽しんでつくっていた感がすごく伝わってきました。
宮本 ええ、好きでやっていましたからね(笑)。
https://topics.nintendo.co.jp/c/article/da165d1f-0157-11e6-8360-063b7ac45a6d.html
引用元: ・任天堂・宮本茂「スターフォックスWiiUでは20年ぶりにディレクターをした 放っておけないタイトルだった」 [667796481]
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